東南アジアは、プラットフォーム経済を生み出す豊かな土壌だ。他の地域のプラットフォームと同様に、この地域のプラットフォーム企業(Grab, Lazada, Shopeeなど)も、地域の暮らしや経済、労働力構造、都市空間を一変させた。これに対し、「プラットフォーム化」の側面として、最近、出現した「プラットフォームガバナンス」も、同様に重要だが、これはあまり注目されていない。AnsellとMiura (2020)は、プラットフォームガバナンスを「その構造を戦略的に導入し、特定のガバナンス上の目的を達成するため、分散的な社会的行為を活用、促進、抑制する機構」と定義する。 1 タイの地方政治のアクターによる、プラットフォーム概念の導入と変形は、特有の機構的、政治的背景の下で展開される。すなわち、タイは、2014年のクーデターから最近まで、全国レベルで、軍部主導の連立政権下に置かれていた。 2 とはいえ、地方の市長は選挙で選ばれ、当選するには市民の支持を育む必要がある。だが、一度、権力の座に就くと、彼らの行く手を中央集権的な財政制度が阻む。というのも、この制度下では、内務省によって県知事(puwa)が任命され、地方財政が制約を受けるからだ。例えば、地方レベルの首都統治機構であるバンコク首都圏庁(BMA: the Bangkok Metropolitan Administration)は、2022年に、予算の81%を中央政府からの財政移転で受け取った。 3 こうした中、「少ない労力で、より多くを行う」手段の一つとして、デジタル・プラットフォームが受け入れられてきた。つまり、これらのプラットフォームは、地方官僚が選挙区民と対話し、乏しい財源を各都市に配分する手段として、官僚たちに実権と、言論の力を与えている。
タイランド4.0 タイをデジタル時代にアップグレード?
2014年のクーデターから2年後の2016年、プラユット・チャンオチャ将軍の軍事政府は、その代表的政策の一つ、「タイランド4.0(Thailand 4.0)」を発表した。この政策には、タイをデジタル化させ、「中所得国の罠」から抜け出させる目的があった。2017年の第12次国家経済社会5カ年開発計画(The 12th 5 year National Economic and Social Development Plan)では、政府のデジタル化計画や、最先端の「Sカーブ」産業の推進計画など、タイランド4.0のコンセプトが力説された。さらに、2016年には、改称されたデジタル経済社会省(MODES: Ministry of Digital Economy and Society)が設立され、「デジタル経済振興庁(DEPA: Digital Economy Promotion Agency)」に「スマートシティ」(タイ語で “meuang achariya”)推進の指令が下された。DEPAはスマートシティ概念の普及に協力した一機関だが、デジタル・プラットフォームの推進と、その都市ガバナンスへの応用を推進する国家・非国家のアクターは他にも数多い。タイの中央政権的な財政制度の下、起業家精神に満ちた地方官僚にとって、デジタル・プラットフォームは、わずかな予算を活用し、選挙に向けた正当性を構築する魅力的な手段だ。この記事では、二人の政治家が、プラットフォームガバナンスの運営を可能にした手法について検討する。その一人、チャッチャート・シッティパン(Chadchart Sittipunt)は、2022年の圧勝により、2014年の軍事クーデター以来、初めて選挙でバンコク都知事に選ばれた人物だ。また、もう一人は、南部の小都市、ナコーンシータマラート(Nakhon Si Thammarat)市の市長、カノップ・ケッチャート博士(Dr. Kanop Ketchart)だ。
バンコク チャッチャートとトラフィ・フォンドゥ(Traffy Fondue)
2022年、チャッチャート・シッティパンが都知事選の見事な選挙運動により、バンコクの全地区で圧勝を収めた。(以前、前政権のタイ貢献党(Pheu Thai)で運輸相を務めたが)無所属で出馬したチャッチャートは、テクノロジーと市民関与を通じ、タイの首都の都市問題を解決するテクノクラートというイメージで自身を売り込んだ。これに関し、チャッチャートは次のように振り返る。「我々の仕事は、民主主義制度に対する信頼と自信の回復だ。この10年間、国民は不信感を抱き、多くの人は、民主主義体制が腐敗したように感じていた。我々の仕事は信頼を取り戻す事だ」。 4 また、チャッチャート陣営は、選挙運動期間に200以上もの政策を発表した。その主要コンセプトの一つは、彼が「末梢問題(capillary problems)」と呼ぶものの解決だ。例えば、バンコクにはBTSスカイトレインなど、立派で大規模な交通インフラがある一方、区域レベルのソイ(soi)と呼ばれる路地や、非公式コミュニティなどは放置されてきた。
チャッチャートの代表的な取り組みの一つにトラフィ・フォンドゥ(Traffy Fondue)という、市民の苦情プラットフォームの導入がある。ただし、チャッチャートはトラフィを開発したわけではなく、バンコク知事の名声を使ってこれを推進した。彼は次のように述べた。「我々には迅速な勝利が必要だが、トラフィは迅速な勝利だと思う」。 5 2023年8月現在、トラフィ上には、市民からの40万7,000件の報告が発生し、うち、29万9,000件(70%以上)には、様々な政府機関による「対応済み」マークが付けられている。これは、人気のメッセージングアプリ、Line上のチャットボット・チャネルや、スタンドアロンのアプリを使って、市民が近所の問題を報告できる単純なプラットフォームだ。例えば、道路に穴が空いた、電線が切れて垂れ下がったなどの報告があれば、担当の政府機関や、地区の役場はこれに対応するか、修理班を派遣しなければならない。なお、このアプリのルーツは、2018年のプーケットの廃棄物収集の自動化プロジェクトにある。また、このプロジェクトは、2015年に開始されたDEPAの、プーケットでのスマートシティのパイロット・プロジェクトの一環だ。トラフィの開発を率いたのは、タイ国立科学技術開発庁、NATDAの一部局、国立電子コンピューター技術研究センター(NECTEC: the National Electronic Technology Center)のワサン・パッタラーアティコム博士(Dr. Wasan Pattara-atikom)だ。なお、この調達費が低かったのは、国立機関が既にこれを開発していたためだ。
元来、このプラットフォームのロジックは営利事業モデルだったが、これが統治モデルとして応用された。ワサン博士が言うように、「トラフィ・フォンドゥの仕組みは、サービスの提供者と、その利用希望者とを結ぶGrabなど、その他のオンライン市場の仕組みと同じだ」。 6 これについて、チャッチャートはこう付け加えた。「プラットフォームには、4つの重要な要素がある。それは、ゲートキーパーがいないこと、誰もが平等で、摩擦がなく、素早い展開が可能な事だ」。「私には、何も指示する必要がなく、担当者がプラットフォームを見て、問題を解決し、問題が解決すれば、折り返し報告が入る。」さらに、チャッチャートは、このプラットフォームが信頼醸成のツールだとも指摘した。「市民を公正に扱えば、彼らは信頼してくれる。トラフィ・フォンドゥは市民の信頼を高めるものだ。」 7
確かに、バンコク首都圏庁(BMA)が、プラットフォーム上の全ての苦情に直接対応するのは不可能だろう。だが、このシステムは、市民の投稿した問題に対する、各地区や各部署の対応法のデータと、透明性をもたらす。また、ダッシュボードの地図には、どこで、どのような類の苦情が投稿されたかが表示され、市とその「末梢問題」に関する有益なデータが作成される。さらに、トラフィは、BMAが地区当局の指導部の効率性をモニタリングするのにも役立つ手段となった。何しろ、バンコクは、50もの地区、「ケート(khet)」に分かれているのだ。 8 また、BMAは、より効率性の高い地区が、その経験を共有するワークショップも開催している。現在では、このアプリが他の機関にも推奨されており、これまでに、タイ全国1,300の市町村と、14の県で使用されている。 9 さらに、これに新たな機能や、AIなどの解析能力を付け加え、さらなる問題対応の自動化を図る計画もある。
だが、トラフィの成功をよそに、チャッチャートに大きな変化をもたらす能力があるのか疑問視する見方もある。染みついた官僚制度や、BMAの財政的な自律性が比較的限られているためだ。 10 現に、バンコクの多くのインフラはBMAの直接管理下に無く、例えば、電力はMEA(首都圏配電公社)という独立した機関が、幹線道路は内務省が管理している。それに、洪水時の巨大な地下排水路トンネルなどの大規模インフラ計画は、トラフィの短期的処置の対応範囲を超えている。実際、チャッチャート自身も、トラフィを推奨する一方、デジタル・プラットフォーム依存のリスクについて、率直に警告した。「中には、プラットフォームを利用できない人もおり、(このような依存が)ある種の不平等を生み出す可能性もある」。このように、彼は、より対面型の地域集会によって、その他の有権者に接触する必要があると示唆した。
ナコーンシータマラート:Line上のスマートシティ
ナコーンシータマラート(NST)は仏教の寺院や学校で知られるタイ南部の古都で、かつては、この地方の歴史的中心地だった所だ。同市の人口は約10万人だが、県には150万人ほどの住民がいる。現市長のカノップ・ケッチャート博士(Dr. Kanop Ketchart)は、同市を彼が「人間中心のスマートシティ」と呼ぶものに変えるための一連のイニシアチブを監督する。このために、同市長は、地元の学校でテクノロジーを推進し、市民関与のプラットフォーム、「マイシティ(My City)」を使用する。また、タイの小規模スタートアップ企業、Siam Inno City(サイアム・インノ・シティ)は、「Line上のスマートシティ・プラットフォーム」を開発した。これには、タイや台湾で広く利用される日本拠点のメッセージングアプリ、LineのオープンAPIが使用されている。このプラットフォームは、トラフィ・フォンドゥと似ているが、インターフェースのモデルは福岡のLineをベースとしたアプリだ。 11 また、@nakhoncityは、同市とサイアム・インノ・シティのパートナーシップにより開発されたアプリで、DEPAはこれを支援し、全国レベルでの資金獲得と、タイ国内外での同モデルの普及を図った。このプラットフォームのコア・インターフェイスは、Lineチャネルの@Nakhoncityで、Lineアカウント保有者なら、誰でも登録、フォローできる。「タイでは、多くの人が新たな情報の通知を受け取るため、Lineオフィシャル・アカウントをフォローしている。ダウンロードが必要なスタンドアロンのアプリを構築するより付加価値が高いからだ」と、DEPAの専門家、ノン・アルカラプラセークル博士(Dr. Non Arkaraprasertkul)はいう。当初、カノップ市長が開発しようとしたのは、早期警告システムのプラットフォームだった。これは、センサーによって監視された特定の上流の貯水池の水位が上昇した際、市民に洪水を知らせるものだ。これに市民の苦情プラットフォームや、市民がCCTVカメラでライブ映像を見られるオープン・プラットフォームなどの機能が徐々に加わって行った。また、市民の報告から収集されたデータは、苦情が出た位置を示す地図と共に、ダッシュボードのインターフェースに表示され、市の職員に向けて要約データも作成される。
カノップ市長は、このプラットフォームに自身の謙虚なガバナンス観がいかに表れているか、次のように語った。「私が指導者なのではなく、市民が私を財源配分を行える地位に就けた。だから、私は市民に従う。何を求められようが、それは市民のためになる正しい事で、私は従うまでだ...あたかも共に飛ぶ鳥の群れのように、強い鳥は前を、弱い鳥は後ろを飛ぶ」。 12 市長室によると、4万4,000人、あるいは、市民の40%がこのチャネルを利用している。また、市長は、市民が提起した問題を、苦情の申告から48時間以内に解決しなければならないと言う。「もし、問題が解決されないなら、自分が最後の受け皿になる。問題は市長のところで止まる。市民が投票するからには、たとえ、自分がトラックに乗って片付けに行ってでも、するべき事をしなければならない」。市長室の話では、このプラットフォームは、活動費、1,000万バーツ(27万5,000ドル)を節約したが、タイの小都市にとっては、大きな金額だ。現在、Lineが主要な通信プラットフォームである日本や台湾にも、MyCityアプリを展開する取り組みが進んでいる。
結論
この記事では、タイ国内の政治的アクターが選挙での信頼性を高め、実際の都市問題を解決する言論の手段として、いかに「プラットフォーム」概念を利用、導入してきたかを紹介する。だが、根本的な制度改革もないまま、これらのプラットフォームの有用性を論じるのは時期尚早かもしれない。とりわけ、バンコク以外の第二都市では、都市インフラの財源が、今でも、限られている。先日、2023年5月の総選挙で最大投票数を獲得したものの、軍政が任命した上院に政権掌握を阻まれた前進党(MFP: The Move Forward Party)は、選挙運動で地方分権化改革を掲げていた。なお、前進党は、全国、特に都市部や、若者たちの幅広い支持を受けていた。また、タイの各市長がプラットフォームを導入する現状から、市民が政治家に対し、都市問題の解決を強く望む様子が窺える。「今や、市民は自分たちの意見を表明するプラットフォームを手に入れ、以前より、力を持つようになったのかもしれない」、チャッチャートはこのように振り返った。果たして、タイの「プラットフォームガバナンス」は、政治改革や、制度改革、さらには、都市整備を促進するのだろうか?それとも、これはテクノクラート的な粉飾工作に利用されるだけで、より大規模な制度改革や政治改革を未然に防ぐものなのか?これが、今後のより重要な問いだ。
Andrew Stokols
PhD Candidate, MIT Department of Urban Studies and Planning
Notes:
- Ansell, Christopher, and Satoshi Miura. 2020. “Can the Power of Platforms Be Harnessed for Governance?” Public Administration 98 (1): 261–76 ↩
- 2023年選挙では、プラユット将軍の連立与党が議席を奪われたが、軍部は政治的に重要なプレーヤーとして留まり続けている。 ↩
- https://www.bangkokpost.com/opinion/opinion/2336748/city-hall-needs-a-much-larger-budget ↩
- Chadchart Sittipunt, 2023 presentation to the Thai students association at Harvard Graduate School of Design ↩
- Interview with Chadchart Sittipunt, August 25, 2023 ↩
- https://adaymagazine.com/traffy-fondue/ ↩
- Chadchart Interview, Aug 25, 2023 ↩
- 972年のバンコク首都圏地区改革(Bangkok Metropolitan Area reform)により、バンコクは県に相当する特別行政区となり、ケート(khet)という50の区と、クウェーン(khwaeng)という180の下位区に分割された。 ↩
- https://www.nationthailand.com/thailand/general/40031089 ↩
- BMAの2023年度予算は約8,000万バーツ ↩
- Interview with Siam Inno City Founder Pornchai Leamsuksai ↩
- カノップ市長のコメントは、著者が2023年2月にナコーンシータマラートを訪問した時のものである。 ↩