スハルトが1998年5月にインドネシア大統領を辞任した時、道のりは定まっていなかった。民主化を進める事はできるのか?相違を解消するために、以前のインドネシア史のような血みどろの暴力が用いられるのか?20年後、インドネシアは幾度か危うい瀬戸際をさまよった後、騒々しい民主主義に戻って来た。この論文ではジュアン・リンス(Juan Linz)とアルフレッド・ステパン(Alfred Stepan)の手法を用いて民主主義の定着を理解し、スハルト転覆から20年後のインドネシア民主主義を検討する。 1本論はインドネシアが多くの分野において民主主義の定着に向かって進んできた事、つまりは民主主義が新たな常態となった事、しかし、それでもなお深刻な問題、例えば非民主的な市民社会団体や、脅かされた、あるいは一部のプロ意識に欠けた報道機関、非難を浴びる政党、法の支配の脆弱性、官僚汚職や経済的不平等などが存在する事を示す。
前提条件:国家性
リンスとステパンの民主化定着のための前提条件に国家性(stateness)がある。国家が民主主義を経験するのであるから、国家でないなら民主主義はそもそも成立しない。そのような事から、著しい分離主義問題に苦しむ国々は民主化定着のために苦闘する。インドネシアが1998年に民主化されると、多くの者達は地方をけん制する権威主義的独裁者も無しに、この国がまとまるのだろうかと訝った。アンボン(Ambon)とポソ(Poso)では、キリスト教徒とムスリムとの間のコミュニティ間の暴力が権威主義的統治からの移行期の初めに、より広範囲に及ぶ混乱の可能性を強めた。長年に及ぶアチェ(Aceh)の分離独立を求める争いにしても同様であった。民主化は東ティモールに国連監視下での独立をめぐる国民投票の機会をもたらした。だが結局、おぞましい暴力にも関わらず、これらはインドネシアの国家性に対するさらなる試練の到来を告げるものではなかった。東ティモールは分離したが、この地域の独特な政治史のため(東ティモールが侵攻されたのは1975年の事に過ぎない)、これがインドネシアの実存を脅かす事は無かった。アンボンとポソ、そしてアチェでさえ、和平協定がこれらの地域の紛争を鎮静化した。領土の一体性に対する深刻な試練にもかかわらず、インドネシアはその国家性を維持してきたのだ。
市民社会
市民社会は国家から独立したアリーナで、その中で人々は団体や組合を組織する。インドネシアの市民社会、特に大学生は数か月間の抗議を通じて1998年のスハルト大統領失脚に一役買っていた。この独裁者が失脚した後、インドネシア市民はこの国の若い民主主義を支えるために組織を作って関与を続けて来た。新たな集団が出現し、古くからの組織は新たな空間を獲得した。インドネシア人は団結して投票者教育を実施し、選挙を監視し、人権を推進し、汚職と闘った。これらの集団が新たな民主主義の規範を支えていたのだ。
他にも集団が形成されたが、それらは発展するインドネシアの民主主義を支持せずに、新たな団結の自由にだけ便乗した。イスラム防衛戦線(The Islamic Defenders’ Front /Front Pembela Islam, FPI)はイスラム教の取締り強化役を自任して、武力や脅迫によってクリスマスの祝祭や飲酒、LGBT市民、逸脱者とみなされるムスリムを標的とした。自国民から成るテロリスト集団で、アルカイダやISISと関わりのある集団もまた、ホテルや証券取引所、聖地や夜市などを標的に攻撃を実行してきた。イスラム防衛戦線が政治進出への成功を経験した事は、華人でキリスト教徒のジャカルタ知事、バスキ・チャハヤ・プルナマ(Basuki Tjahaja Purnama/通称アホック/ Ahok)の2017年の再選阻止に役立った。FPIやその他の団体はソーシャルメディア・キャンペーンや抗議を指揮したが、その意図は先住民でない非ムスリムがインドネシアの多数派であるムスリムを率いるような事が許されてはならないというメッセージを拡散する事であった。FPIはさらに冒涜罪によるアホックの起訴を要求し、彼はこれによってついには禁固2年の判決を言い渡される事となった。多くの者達がアホックの歯に衣を着せぬやり方や、新自由主義的な政策には反対だったかもしれないが、FPIが民族性と宗教だけを理由にインドネシア市民の被選挙権を攻撃した事は、インドネシアの民主主義を損ねたのである。
インドネシアの報道機関が改革時代に激増した事で、新たな意見が大いに聞かれるようになった。しかし、この国では報道の自由が今なお脅かされている。インドネシアは2018年の国境なき記者団の報道の自由度ランキング(the Reporters without Borders Press Freedom Index)で180ヵ国中124位であった。 2ジャーナリストはこの国のいくつかの地域、特にパプア(Papua)、西パプア(West Papua)、アチェでの報道に骨を折って来た。また記者たちは自らの報道、特に紛争地域や宗教的過激派、汚職に関わる報道の結果としての暴力を経験し、これを危惧している。報道陣の中にはこの問題の一端となっている者もあるが、これは彼らが話題を肯定的に報じるために代価を請求したり、事実検証を怠ったり、あるいは党派性を示したりする(多くのインドネシアの政治家が独自の報道機関を持っている)事が理由である。「フェイク・ニュース」が次期地方選挙と国政選挙で重要な役割を果たすと見られている。
政治社会
市民社会の他に、民主主義の定着は政治社会のアリーナでも生じる。これは市民が組織化して国家権力を争う場である。スハルト体制崩壊後、何百という新政党が形成された。政党法や選挙法は徐々に改善され、一定の国民参加と支持率を要求する事で政党数が絞られてきた。2019年選挙への参戦を認められているのは16党のみで、アチェだけはこれに併せて4党が認められている。有効政党数(The effective number of parties)は政治機構内での政党の重要性を測る指標だが、これは1999年には5.1、2014年には8.9だった。 3つまり、全体的な党数は減少していても、重要な数は実際のところ増加しているという事だ。各党の支持率は選挙毎に異なる。闘争民主党(Partai Demokrasi Indonesia-Perjuangan)、ゴルカル党(Golkar)、民主党(Partai Demokrat)の三つの政党がスハルト体制崩壊後の4度の選挙で議会の得票数首位を占めてきた。インドネシアの強権を備えた大統領の地位は、今や直接選挙によって選出されるものであり、一定の支持率を持った連立のみが候補者を指名できる。2004年からの大統領直接選挙は、組織や政党を基準とするよりも、むしろ人格主義的であるかどうかを基準に候補者を権力の座に就けるようになった。
スハルトのインドネシアは非常に中央集権的であったが、改革時代に政治が分権化された事に伴い、地方、地域レベルの政府はより大きな権能と権限を手にした。同様にこれらの下位レベルの民主化に伴い、市長、県知事、州知事の直接選挙が行われるようになった。ゲリンドラ党のプラボウォ・スビアント(Gerindra’s Prabowo Subianto)の下で、野党が2014年に地方の直接選挙を取り消そうと試みた際、この企ては世論の圧力によって覆される事となった。
インドネシア人の世論調査員への回答には、この国の民主的選挙に対する強力な支持が示されている。選挙制度国際支援財団(the International Foundation for Election Systems)の2014年選挙の後の世論調査では、82%のインドネシア人が国民議会議員選挙の投票プロセスについて満足、あるいは非常に満足であると回答している。 4選挙に関する問題としては、高額な選挙費用(これに対して選出議員は払い戻しを受ける必要があり、政党は資金集めをしなくてはならない)や、候補者たちの投票買収、不正確な選挙人名簿などがある。これらの問題にもかかわらず、投票率はインドネシア民主化後の4度の選挙を通じて高く留まり(2014年は75%)、国民参加が強い事を示している。 5選挙がインドネシアの民主主義的環境で普通の事になる中、政党はイメージに関わる問題を抱えている。ポスト・スハルト移行期の初頭に、世論調査の回答者たちはいずれかの新政党に親近感を示していた。しかし今日では、サイフル・ムジャニ研究センター(Saiful Mujani Research Center)のジャヤディ・ハナン事務局長(Djayadi Hanan)によると、「国民の政党に対する忠誠心は弱まる傾向にある」。 6この国民離反の理由には、野心的で何でも口にするような政治家たち、権力を餌にした協調体制の構築、不敵な汚職スキャンダル、それに政党が持続的な制度構築に失敗した事などがある。
法の支配
法の支配は民主主義の定着が生じるもう一つのアリーナだ。民主主義の定着には役人も含め、全ての人々が法の前で平等である事が必要だ。インドネシア大学法学部教授のヒクマハント・ユワナ(Hikmahanto Juwana)によると、法の支配は法律が「単なるお飾り」であったスハルト時代以降改善されてきた。 7それでも、重大な問題が残っている。法の支配指標(The Rule of Law Index)はインドネシアを法治国家113ヶ国中の63位としている。 8この国で最もスコアが低かったのは刑事司法と汚職だ。裁判官、検事、法執行機関はいずれも汚職の悪名によって知られている。ヒクマハントによると、法の支配が弱い理由は低報酬や人材不足、そして法律研究が十分に評価されていない事である。 9
国家官僚
法の支配の他にも、民主主義の定着に必要となるのが有効な国家だ。その務めを効果的に果たす事ができなければ、新たな民主主義を支持する者などいるだろうか?移行期初頭のインドネシア国家は動揺しているように見えた。この国はkristal全面的な危機、すなわち政変や経済恐慌、対立する住民間の暴力、テロリストの猛攻撃に直面していた。ところが、インドネシア国家は生き残った。政治家たちは苦心して新たな立憲体制を築いた。2004年の選挙が生み出した人気の高い大統領は、極めて重要な国家機能である安全保障の確保が行えると見られていた。経済は金融危機による停滞(1998年には13.8%縮小)から這い上がり、2000年代には年間4-6%の成長率を達成して国民の信頼を高めた。和平合意調停がアンボンとポソで行われ、この国のコミュニティ間の緊張が緩和された。インドネシアの対テロ特殊部隊デタッチメント88(Detachment 88)はテロリストの捜索、逮捕に成功し、新たな民主主義の脅威を最小化した。国家はkristalを生き延び、その務めを遂行したのだ。
しかし、国家官僚は非常に腐敗している。トランスペアレンシー・インターナショナルの2017年の腐敗認識指数(Transparency International’s 2017 Corruption Perceptions Index)によると、インドネシアは180ヶ国中96位を占めている。 10政治家たちは普通、選挙運動の際には汚職を激しく非難するが、在任期間中はこの対処に(試みるのであれば)苦戦するものだ。報酬が低いという事は、役人たちが何とかやっていくためには汚職が必要と考えているという事だ。各党が政権を維持するには選挙戦の資金が必要だが、彼らのうわべばかりの資金力は国家統制の収益化、つまりは汚職を通じて得られるものである。大統領が自らの計画を前進させるには各党との協調体制が必要だが、それは時に彼らがより大きな目標を守るために汚職から目を逸らさなくてはならない事を意味する。汚職は民主化されている。なぜなら、権力や資金が政治的なヒエラルキーを伝って州から県へ、そして市へと下りて来たためである。時に、インドネシア人から深く敬われたインドネシア汚職撲滅委員会(Indonesia’s Anti-Corruption Commission)が、その獲物に完敗しているような気がするのだ。
経済社会
民主主義の定着は経済社会のアリーナでも生じる。民主主義は全市民に政治プロセスに影響を与えるだけの経済力を持つ事を要求する。いずれか一つの存在(国家)、あるいは集団(オリガーク)による資産の過剰なコントロールは、民主主義の定着を困難なものにしかねない。インドネシアでは、甚だしい所得格差が経済社会における最大の課題である。不平等の度合いを測定する「ジニ係数」が、実際、改革時代を通じて上昇し、2000年には30だったものが2013年には41 11にまで上昇した事は、重大で意外な事実である。民主化運動は政治権力を分散させるためのものであったが、少なくとも短期的には、より不平等に富を集中させる事となった。政治システムには百万長者や億万長者でさえ大勢おり、彼らが政党に出資したり、自ら候補者として立候補したりしている。インドネシアのメディア漬けの、世論がものを言う環境での選挙運動が高額な事から、大金は政治家候補者にとって有利なものとなる。しかし、エリートが管理する体制は、インドネシアの民主主義の定着にとって問題がある。
結論
リンスとステパンの見地から、過去20年間のインドネシア民主主義の定着を理解する事で、この国の遍歴の重要な側面が浮かび上がって来る。民主主義は概ね、「街で唯一のゲーム(“only game in town”)」、新たな常態となった。 12 インドネシアはその国家性に対する試練を切り抜け、リンスとステパンの民主主義の定着の前提条件を獲得した。市民社会は飛躍的に拡大し、報道機関は急増した。政治社会では選挙が広く受け入れられるようになり、参画は広範囲に及ぶ。国家はとりわけ、成長を育み、安全保障を確立させるという重要な領域でその効力を示してみせた。
だが、リンスとステパンの枠組みがもたらしたフィルターによって、我々はこの定着が弱い領域を知ることができる。全ての市民社会団体が新たな民主主義の精神に加担している訳ではない。同様に、報道陣も脅威にさらされており、一部のものは時としてプロ意識に欠けている。政党の正当性は低く、法の支配は弱く、経済的不平等はスハルト体制崩壊以来、拡大している。国家官僚は今なおひどく腐敗している。このような弱みの一つ一つは、これが新たな常態の非合法化に寄与するのであれば、インドネシアの民主主義を無効にしてしまう可能性を孕んでいる。
ペイジ・ジョンソン・タン博士(Paige Johnson Tan, Ph.D.)
アメリカ、ラドフォード大学
政治学政治学科 教授
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