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新型コロナ期のフィリピンにおけるデジタル権威主義の武器化

東南アジアは過去の危機に対し、強権的な対策を講じてきた地域として知られるが、この地域では新型コロナウィルスの世界的流行の結果、次の事態が生じた。すなわち、「緊急事態法や臨時法の制定、民主主義的活動の停止、政治批判の封じ込め、行動追跡・データ収集などの干渉的なアプリの導入」が行われた。 1 また、東南アジアの多くの国では、パンデミック対策において人権が最優先されず、健康危機に乗じた政権の強化や、政府批判者の取り締まりが行われている。

さらに、新型コロナウィルスの世界的流行が始まって2年以上が経ち、明らかになった事がある。つまり、エスノ・ナショナリストやポピュリスト、独裁者の手により、健康危機が、「パンデミックと関係ない目的を持つ抑圧的政策を講じる口実」に利用される可能性があるのだ。 2

“Tales of Future Cities” Lea Zeitoun @the.editing.series Instagram

フィリピンは、東南アジア地域でも、「厳重な厳戒態勢」と呼べるような新型コロナ対策を行う国の一つだ。 3 事実、この国は東南アジア一厳しいと思われるロックダウンを実施したが、感染率や、コロナを原因とした死亡率が最も高い国の一つでもあった。2022年3月現在、フィリピンは感染者数において26位 4、コロナを原因とした死亡者数においては21位にランキングされている。 5 さらに、厳しいロックダウンと、ウィルス蔓延の抑制に失敗した結果、2020年には経済が9.5%収縮した。 6 これは第二次世界大戦以来、最悪の状況で、フィリピンはASEAN加盟国中で最も景気が悪化した国となった。 7 経済への影響に加え、政府により監視された「有害なロックダウン文化」の結果、高度に厳戒態勢が敷かれ、新型コロナウィルス感染症が健康危機というより、平和と秩序の問題として扱われた。さらに、政府はインターネットやソーシャルメディアを自分たちのイニシアティブの正当性を主張し反対意見を封じ込める手段として用いた。こうして、人権遵守に悪影響を及ぼす不安定な状況が生じた。

この論文の目的は、フィリピンの厳戒態勢での新型コロナウィルス対策と、国内のデジタル権威主義、人権侵害の相互関係を説明することである。具体的に言うと、「新型コロナのパンデミック中に、デジタル権威主義が支えるフィリピンの厳戒態勢での対策が、人権侵害にどの程度影響したか」という問いに答えたい。

Philippines: Manila Ninoy Aquino Stadium quarantine facility at Rizal Memorial Sports Complex. Wikipedia Commons

ドゥテルテの厳戒態勢での新型コロナウィルス対策

当初より、政府がコロナ禍を一種の戦争と定義した事が、戒厳令まがいの条件の押し付けや厳しい罰則の脅しに、より受け入れ易い印象を与えた。 8 例えば、ある街頭演説では、大統領が軍部と警察にゼロ・トレランス政策を採るよう指示したほどだ。さらに、大統領は違反者への警告で、新型コロナの規制違反で捕まれば射殺される可能性もあると言った。だが、新型コロナ対策タスクフォース(the COVID-19 task force)の主導者が軍人や元警官である事を思えば、このような健康危機対策も驚くものではない。 9 しかし、この厳戒態勢下の対策に、大きな望ましい成果は見られない。それでもドゥテルテ政権は、主力となるデジタル権威主義を武器に、このような対策の正当性を主張した。

まず、パンデミックの最初の数か月間で、フィリピンは共和国法第11469号、「バヤニハン法(Bayanihan to Heal as One Act)」を制定した。この法律には、フェイクニュースの有罪化に関する物議を醸す条項が含まれる。これによると、「根拠のない、あるいは国民に悪影響を与える」誤情報を広め、「パニックや混沌、無秩序、不安や混乱を明らかに助長しようとする」人物は、「2か月以下の拘禁、または100万ペソ(約2万米ドル)以下の罰金に処せられる」。

タラマヤン(Talamayan)の指摘によると、フィリピン政府は新型コロナ情報を規制し、パンデミック対策の不備を隠ぺいしている模様だ。 10この指摘を支持したラップラー(Rappler)は、ドゥテルテ政権がソーシャルメディアを利用して、コロナ対策でフィリピンが健闘しているとのナラティブを広めたと論じた。同ニュースサイトによると、「ネット上のソーシャルメディア・ユーザーは、外国の人物、あるいは刊行物とされるものが、新型コロナ対策でのドゥテルテの指導力を称賛、評価したと虚偽の主張をしている。だが、そのようなコメントは、でっち上げか曲解のいずれかだ」という。 11

一方、コンデ(Conde)の観測では、新型コロナ緊急事態法に支えられたフィリピンの中央・地方当局が権力を行使し、評論家を取り締まった。この際、当局はこれらの評論家について、「新型コロナの誤情報の売人」の追随者に過ぎないと論じていたという。 12 基本的に、反体制派と見なされた人物は、当局の格好の標的となった。

近年、フィリピンの政治家や候補者が大量の荒らし(トロール)部隊を雇って政敵を中傷し、自分たちのてこ入れを行う事が一般化した。 13さらに言うと、ドゥテルテが政権に就いた原因をデジタル権威主義とし、ストラテジック・コミュニケーション・ラボラトリーズ(Strategic Communications Laboratories)のおかげだと論じる事もできる。ちなみに、同社は悪名高い政治コンサルタント会社、ケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)の親会社だ。 14

元宣伝担当幹部のニック・ガブナダ(Nic Gabunada)の話では、ドゥテルテには主要メディアに政治広告を出す資金がなく、彼の選挙運動チームが「ソーシャルメディア集団の起用を」決めた。 15 なお、この集団は現在もそのまま存続し、ドゥテルテが大統領になった後に拡大さえしている。このソーシャルメディア集団が定期的に利用され、大統領の批判者を悪者にしてきたのだ。そのような批判者には、副大統領のレ二―・ロブレド(Leni Robredo)や、レイラ・デリマ(Leila de Lima)上院議員、ラップラーのCEOで、2021年ノーベル賞受賞者のマリア・レッサ(Maria Ressa)などがいる。2017年のオックスフォード大学の研究によると、ドゥテルテ大統領の支持と、その批判者を標的とするためのプロパガンダの拡散には約1千万ペソ(20万米ドル)が費やされた。また、この研究は、ドゥテルテのオンライン組織が大統領のフィリピン民主党-国民の力(Partido Demokratiko Pilipino-Lakas ng Bayan)、ソーシャルメディア対策担当のガブナダ、有志団体やサイバー傭兵から成ると付け加えている。 16

さらに、2021年には、10名ほどの上院議員がトロール・ファーム(troll farms)の運営維持のための公費使用疑惑の調査を要求した。このきっかけとなった上院議員の発言によると、「政府事務次官は、全国でインターネット・トロール・ファームを組織し、政敵やドゥテルテ大統領政権に与しない人間を標的にしている」。この調査をさらに進展させたのが、コミュニケーション戦略に関する90万9122ペソ(1万8000米ドル)のコンサルタント契約だ。これは、財務省があるPR業者に発注した契約だが、フェイスブック(FB: Facebook)は、この業者を「ドゥテルテ支持派の偽アカウント・ネットワークの黒幕」と呼んでいた。なお、「FBは、このアカウント・ネットワークを2019年3月に削除した」。 17

これらの出来事から、ソーシャルメディア操作がドゥテルテ政権の手法である事が分かる。最近、ドゥテルテ大統領は、SIMカード登録時に個人の実名使用を求めるSIMカード登録法案(the SIM card bill)(2022年4月)に拒否権を行使したが、この法案がトロール・ファームの運営に及ぼし得る影響を考慮すれば、これは全く驚くには当たらない。 18

City checkpoint at Maasin City, Southern Leyte, The Philippines, 2020. Photo: Pascal Canning, Shutterstock

人権への影響

ドゥテルテ政権の厳重な厳戒態勢対策により、パンデミック当初の数か月間で、隔離手順の違反者約12万人が逮捕される事態となった。 19 それに、検問所で隔離手順の実施に当たる軍人や警官の権力乱用に関する様々な報道もあった。拘留者の中には、罰として犬用のおりや、棺おけに入れられた者、あるいは、炎天下にさらされた者もいたという。 20 また、多くの拘留者が集団で監房に収容されたり、ウィルス感染の危険性がより高い場所に収容されたりもした。

新型コロナのロックダウンに加え、この期間にはドゥテルテ大統領の「麻薬戦争(war on drugs)」キャンペーンも強化された。2021年のヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)の報告では、パンデミック中の殺人事件は50%増加したという。また、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の観測では、新型コロナのロックダウン中には、主に社会活動家を標的とした「軍の威嚇戦術」が止まらなかった。 21

結論

思うに、フィリピン政府が厳戒態勢での対策を取ったのは、政府が新型コロナウィルスの感染拡大を抑制できなかった事が大きな原因だろう。デジタル権威主義に支えられたこのような対策の結果、新型コロナのパンデミックのまっただ中で人権侵害の事例が数多く生じた。近年、フィリピンでは、デジタル権威主義にまつわる数多くの出来事があったが、これは懸念の種となって然るべき事態だ。こうして新型コロナの時代に、フィリピンの民主主義や人権に対する既存の脅威の武器化が行われている。

Celito Arlegue
Celito Arlegue is the executive director of the Council of Asian Liberals and Democrats (CALD), a regional network of political parties in Asia.  At present he also serves as a lecturer in the School of Diplomacy and Governance, De La Salle – College of St. Benilde in Manila, Philippines.

Banner: A woman wearing a face mask with a message of ousting the Philippine President Rodrigo Duterte in a protest on the 34th Anniversary of Mendiola Massacre in Mendiola, Manila on January 22, 2021. Kel Malazarte, Shutterstock

Notes:

  1. Asia Centre, COVID-19 and democracy in Southeast Asia, last modified 4 December 2020, https://asiacentre.org/covid-19_and_democracy_in_southeast_asia/
  2. Antonio Guterres, We are all in this together: Human rights and COVID-19 response and recovery, last modified 23 April 2020, https://www.un.org/en/un-coronavirus-communications-team/we-are-all-together-human-rights-and-covid-19-response-and
  3. Michelle Bachelet, Exceptional measures should not be cover for human rights abuses and violations – Bachelet,  last modified 27 April 2020, https://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=25828&LangID=E
  4. Statista, Number of novel coronavirus (COVID-19) cases worldwide by country, accessed 15 March 2022, https://www.statista.com/statistics/1043366/novel-coronavirus-2019ncov-cases-worldwide-by-country/
  5. Statista, Number of novel coronavirus (COVID-19) deaths worldwide by country, accessed 15 March 2022,  https://www.statista.com/statistics/1093256/novel-coronavirus-2019ncov-deaths-worldwide-by-country/
  6. Beatrice Laforga, Philippines GDP shrinks by record 9.5% in 2020, Business World, 29 January 2021, https://www.bworldonline.com/philippine-gdp-shrinks-by-record-9-5-in-2020/
  7. Philippines to be Southeast Asia’s worst performer this year, Business World, 11 December 2020,  https://www.bworldonline.com/philippines-to-be-se-asias-worst-performer-this-year/
  8. Karl Hapal, The Philippines’ COVID-19 response: Securitizing the pandemic and disciplining the pasaway, Journal of Current Southeast Asian Affairs, last modified 18 March 2021, https://doi.org/10.1177/1868103421994261
  9. デルフィン・ロレンザーナ(Delfin Lorenzana)国防相は、国家コロナ対策タスクフォース(the National Task Force against COVID-19)の議長を務め、元フィリピン国軍(AFP)将軍のカリート・ガルベス・Jr.(Carlito Galvez Jr.)は、政府のパンデミック対策の実施責任者に任命された。もう一人の元AFP将軍で、内務大臣(Interior Secretary)のロドルフォ・アノ(Rodolfo Ano)も、新興感染症に関する省庁間タスクフォース(IARTF-EID: the Inter-Agency Task Force on Emerging Infectious Diseases)の副議長を務める。彼は副議長として、当時のフィリピン国家警察司令長官(Chief of the PNP Directorial Staff)に合同タスクフォースCOVIDシールド(the Joint Task Force COVID Shield)を指揮するよう進言した。なお、COVIDシールドは、警察との連携によるIATF-EIDプロトコルの実施を目的とする。 See Simon Levien, Meet the generals leading COVID response in Indonesia and the Philippines, Rappler, last modified 25 August 2020, https://www.rappler.com/newsbreak/iq/meet-generals-leading-covid-response-philippines-indonesia/
  10. Fernan Talamayan, Statistical (in)capacity and government (in)decisions: The Philippines in the time of COVID-19, Conflict, Justice, Decolonization: Critical Studies of Inter-Asian Societies (2020), last modified 23 March 2021, https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=3808937
  11. 12 times social media boosted Duterte’s lies, Rappler, last modified 2 July 2021, https://www.rappler.com/newsbreak/iq/times-social-media-boosted-rodrigo-duterte-lies-false-statement/
  12. Carlos Conde, Killings in the Philippines up 50% during the pandemic, last modified 8 September 2020,  https://www.hrw.org/news/2020/09/08/killings-philippines-50-percent-during-pandemic
  13. Shashank Bengali, S. and Evan Halper, Troll armies, a growth industry in the Philippines, may soon be coming to an election near you, Los Angeles Times, last modified 19 November 2019, https://www.latimes.com/politics/story/2019-11-19/troll-armies-routine-in-philippine-politics-coming-here-next
  14. Raissa Robles, How Cambridge Analytica’s parent company helped ‘man of action’ Rodrigo Duterte win the Philippine election, South China Morning Post, last modified 4 April 2018, https://www.scmp.com/news/asia/southeast-asia/article/2140303/how-cambridge-analyticas-parent-company-helped-man-action
  15. Trolls and triumph: a digital battle in the Philippines, BBC News, last modified 7 December 2016, https://www.bbc.com/news/blogs-trending-38173842
  16. Mikas Matsuzawa, Duterte camp spent $200,000 for troll army, Oxford study finds, Philippine Star, last modified 24 July 2017, https://www.philstar.com/headlines/2017/07/24/1721044/duterte-camp-spent-200000-troll-army-oxford-study-finds
  17. 12 senators seek investigation into troll farms, Philippine Senate, last modified 12 July 2021, https://legacy.senate.gov.ph/press_release/2021/0712_pangilinan2.asp
  18. ドゥテルテ大統領は自身の拒否権を正当化するため、言論の自由とデータ・プライバシ-に関する懸念を理由として挙げた。一方、SIMカード登録規定の支持者は、この規定が虚偽情報やトローリングなど、通信を使った犯罪活動を防止すると言っている。
  19. Michelle Bachelet, Exceptional measures should not be cover for human rights abuses and violations – Bachelet,  last modified 27 April 2020, https://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=25828&LangID=E
  20. World Report 2021, Human Rights Watch (2021), https://www.hrw.org/sites/default/files/media_2021/01/2021_hrw_world_report.pdf
  21. Freedom in the world 2021: Democracy under siege, Freedom House (2021), https://freedomhouse.org/report/freedom-world/2021/democracy-under-siege
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