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タイにおける自然保護の政治学

        

本論は「自然保護」というものがタイにおいて自然景観に対する国家介在の産物であること、森林が国家の近代化にとって重要であることについて議論したものである。タイは近代化の渦中で、北アメリカの自然に対する概念を受け入れたが、結果として「自然保護」と「経済発展」という背反する概念が存在することになった。人間介在のない自然という意味での「保護区」は、「発展」パラダイムの中で資本化が可能な天然資源として組み込まれてゆくようになる。

ビルマから19世紀の英国植民地式の木材伐採が導入され、神秘的で無秩序な領域であり、都市(ムアン)という文明化された領域から隔離されたものとしてあった前近代の森林(パー)に対する認識の組み換えが生じた。すなわち、森林は林業地となり、「自然」は商品価値をもつ「天然資源」へと変わったのである。外国人技師によって導入された森林科学は、無秩序な森林を合理的に整理・配置された木々へと変えた。こうして、タイ国家、特に王立森林局は新しい管理テクノロジー(国家管理によるチーク伐採や空間管理)や鉄道路線の発達を通した中央集権化を推し進めた。

植民地木材伐採がタイの自然を資本として見る視点を形作ったように、植民地後の国際的な諸機関は、先進国から途上国へ発展モデルや国立公園モデルを移転させようとした。民間産業や観光客の求める国立公園は、近代的市民国家・タイのシンボルともなった。行政官や森林専門家、環境保護グループは、国立公園や自然保護区を設立してこれらを保護しようとしてきた。しかしそれは都市に住み、教育を受けた中産階級の人々が求めた美しさや教育、娯楽といったニーズを満たすためであった。

自然を正当に評価するのに必要な公教育は、地方住民や高地部族を国立公園の管理によって排除したり、地域住民の生活と森林の関係を侵害するのに用いられた。「手つかずの自然」という関心の中で、地域住民は保護区から締め出され、共同体としての権利を失った人々は周辺の森林に追い立てられた。こうした地域では、住民が自然林に対する「脅威」であると述べられがちであるが、実は国家と民間産業が自らの関心に従って自由に利用したため生じたのであり、国家自体がその破壊者であったのだ。

Pinkaew Laungaramsri

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Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 2 (October 2002). Disaster and Rehabilitation

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