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シンガポールにおける同性愛の非犯罪化運動

2014年10月28日にシンガポール最高裁判所の下した判決は、男性同士の性的関係を犯罪とする法律である刑法377A条を合憲とするものである。この判決は嘆かわしいとはいえ、その保守主義と社会的道徳観や市民的自由を法によって規制することで知られる東南アジアの一国家における同性愛の非犯罪化運動が活発であることを示すものであった。過去8年の間、シンガポールのクィアの活動家たちは、単独政党に牛耳られたこの国の議会に377A条の廃止を請願し、数々の訴訟を起こして、この法律の妥当性に疑問を投じてきたのである。

本論は、2007年から2015年にかけての司法分野での行動主義に焦点を当てている。 1この活動では非犯罪化を達成できなかったが、政府や司法の同性愛に対する立場を白日の下にさらすことには成功したし、これによってシンガポールでのクィア運動の行く手に控えた諸問題が明らかになった。377A条が「積極的に」実施されることはないとの政府声明があるものの、保守的な多数派の以降に沿うという想定に基づいて、現行法では同性愛の非犯罪化が実現していない。そのことは、全体として、政治的にはマイノリティの保護に消極的であることを示している。

法的背景

イギリス植民地政府が、刑法377A条をシンガポールに導入したのは1938年であり、英国の1885年の刑法改正法第11条がモデルとなっている(Lee 1995; Chua 2003)。この条項は英国の元植民地の中でも、一部の国々でのみ制定された。377条の「自然の秩序に反した肉体的交渉」については、英国の元植民地で、その刑罰法規がインド刑法に由来する国々では、より一般的に見受けられるものであるが、シンガポールの377A条は、これとは違って次のように書かれている。

公的、または私的に、他の男性といかなる甚だしいわいせつ行為を行う、そのような行為を教唆する、他の男性にそのような行為を斡旋する、または斡旋しようとする男性は、最長二年以下の禁固刑に処する。

この377A条の表現は、広範囲に及ぶ行為を捉えるものだ。この「甚だしいわいせつ行為」という表現は、この法律の中では定義されておらず、判例や研究者たちの意見によると、性行為やフェラチオ、アナルセックスに到らぬ、親密なスキンシップまでも含みかねない。377A条はまた、公的行為や意に反する行為に限定されることもなく、私的行為や同意上の男性同性愛者の関係にも適用されることを示している。

2007年のシンガポール刑法の改正(下記で論じる)まで、377A条は377条と並存していたが、377条では次のように述べている。

誰であれ、いかなる男性、女性、または動物との自然の秩序に反する肉体的交渉を持った者は、終身刑、あるいは10年以下の禁固刑、及び罰金刑に処する。

ここで留意すべきは、377条に述べられた犯罪に不可欠な肉体的交渉に、挿入が十分当てはまるということだ。377A条と同様、377条も私的な同意上の関係にまで適用される。だが、それは同時により狭くも広くもあって、性行為をオーラルセックスやアナルセックスなどの男性器の挿入に関わるものと限定してはいるが、男性同士、さらには異性同士の行為をも対象としている。

実際、両条項が最も頻繁に適用されたのは、非合意や強要、あるいは未成年に関する事例であった。1990年代半ば以来、同性愛の性的関係に対する積極的な取締りはほとんど行われて来なかったが、違法薬物使用の疑いが絡む場合は、今でも警察の強制捜査が同性愛者たちのたまり場で行われることがある。過去に、警察がゲイ男性をそのナンパ場所で罠にかけていた頃、警察は大抵、刑法354条のもと、覆面捜査官への「慎み(の)侮辱罪(outrage [of] modesty)」(わいせつ罪)で起訴したものだ。女性の同性愛者達に対しては、377条や377A条に相当するものは存在しない。

だが、377A条と(2007年までは)377条に基づく男性同性愛犯罪化の社会的、政治的な影響力は、法的制裁の域を超える。これらの条項は、クィアの権利団体の法的立場を否定することを正当化し、同性愛、レズビアン、バイセクシュアル、性転換(や)、服装倒錯のライフスタイルを「促進」したり、「正当化」したり、あるいは「美化」したりするマスコミの番組放送を禁止することを正当化し、公立学校の性教育プログラムで同性愛に肯定的な議論を禁ずることを正当化するために用いられている(Chua 2014)。政府もまた、377A条の目的が、シンガポール社会の「主流」から同性愛を排斥する象徴であると認めている。

2007年の議会に対する請願書

377A条の「象徴性」に関する政府声明が浮上したのは、2007年にシンガポール議会にこの法律廃止を請願する運動が起きている頃であった。シンガポールのクィア運動は、1990年代初頭にまで遡ることができるが、この2007年の運動では、活動家たちが初めて国民の支持を求め、公式に非犯罪化を要求した。これは377A条を対象とする司法分野での行動主義の始まりを示していたが、結果的に上述の2014年の判決に終わった。

この運動は、国家が刑法改正を始めたことがきっかけとなって生じた。2006年11月、シンガポール政府は刑法の包括的な見直しを発表し、公開協議の実施によってフィードバックを募った。修正案の中には、377条の廃止も含まれていた。しかし、377A条は堅持され、この修正案は男性同士の性的関係をより異常で重い犯罪とした。

クィアの活動家たちは当初、377A条を堅持することに対して、公式協議の手段を通じて異議申立てを行った。だが、協議期間終了後、政府はそれでもこの条項を堅持すると発表し、シンガポール人の大多数が現行法を支持しているからには、政府は「事態の展開に委ねる」べきであると説明した(Chua 2014)。

これに対し、あるクィアの活動家団体が、377A条廃止を議会に請願する決定をした。彼らは2ヵ月以内に2,519人の署名を集め、シンガポール独立史上、初めて国民の支持を受けて議会に請願書を提出したのである。彼らはこの請願書が政府の姿勢を変える見込みがほぼ無いことを承知の上で提出した。というのも、議会は377A条にいかなる改変も加えないまま、刑法改正法案を可決しようとしていたからである。そして、一党支配の議会において、この改正法案はあっけなく制定された。

それでも、クィアの活動家たちはこの運動によって、シンガポール政府と彼らが直面する敵への理解をさらに深めた。この請願書を受けて首相が行った議会演説は、国家の同性愛に対する姿勢を総括するものであった。「クィアの人々には、シンガポール社会の中に居場所があるのです。また377A条は同意に基づく私的な関係に対して執行されません。ですが、大多数の人々の意志は優先されるべきです。彼らは未だに同性愛を受け入れていない。だからこそ、この法律は象徴として残されるべきなのです」。この運動を通じて、クィア活動の最も頑強な敵がキリスト教原理主義者達からなることが明らかとなった。キリスト教保守主義が、シンガポールでは宗教的にマイノリティ中のマイノリティであるにもかかわらず、その見解を「大多数のシンガポール人」の代表的な意見らしきものとして、速やかにこれをまとめあげて主張を展開することがわかった。

タン・エンホンリム・メンスアンの事例

2007年の議会への請願書が示唆したのは、現段階で、立法による法改正があり得ないということである。クィアの活動家たちの間では、377A条廃止のために司法的手段を追求すべきか否かという話し合いが断続的に行われていた。重要な問題は、誰が訴訟の当事者となるかということであった。当事者になれば、自分の私生活とセクシュアリティが表沙汰になってしまう。そして、当事者は、シンガポールの司法制度が憲法上の権利を擁護したことがないことを承知で訴訟することになる。というのも、憲法は、いかなる法律も憲法と矛盾すれば無効になると定めているが、憲法が保護する諸権利に反すると司法機関が判定した法律は一つも存在しないからである。 2

しかしこのような議論が予期せぬ出来事によって意味をなさなくなり、クィアの活動家たちは法廷へと急き立てられた。2010年9月2日、タン・エンホンという名の男性が、ショッピングモールのトイレで別の男性とオーラルセックスを行ったために、377A条の下に起訴された。首相の「執行せず」との発言を槍玉に挙げて、活動家たちはこの告発を非難した。法務長官は説明なしに、後になって337A条による起訴を、より軽微な公然わいせつ罪にすげ替えた。その頃には、タンの弁護士は、別の訴訟を起こして、377A条が法による平等な保護を受ける権利や、シンガポール憲法の生存権と自由に対する権利を侵害するとの異議申し立てを行っていた。すると、法務長官はこの訴訟を手続き上の観点から却下する動きに出た。タンがもはや377A条の下で起訴されていない以上、訴訟を起こす必須条件となる当事者適格を欠くというのだ。程なくして、タンはわいせつ罪に対する有罪を認め、下級裁判所が法務長官に賛同し、憲法の合憲性を問う異議を退けた。タンはこの異議の却下という判決についてはシンガポールの終審裁判所である上訴法廷に上訴した。上訴法廷は下級裁判所の判決に異を唱え、タンに有利な判決を下した。

Singaporean, Tan Eng Hong (Photo Tan Eng Hong)

2012年8月の上訴法廷の判決は、手続上の問題を取り上げ、同性愛者の市民が377A条の合憲性に異議を唱えることは十分に可能であり、それに先立ち、この条項の下で逮捕される必要も、起訴される必要もないとした。これは、タンが合憲性に対する異議を訴えることができ、他のシンガポールの同性愛者達もまた、同じことができることを意味した。2012年の11月には、同性愛カップルのリム・メンスアンとケネス・チー・ムンリョンが、タンの訴訟と並び、自分達自身の別件で訴訟を起こしている。

多くのクィアの活動家たちはリムとチーを支持したが、タンの事例については及び腰の活動家が多かった。彼らの戦略的見地からすると、タンは公衆トイレでの性行為とリンクしてしまっているために、クィア擁護の理想的な訴訟ではなかったのだ。タンとは対照的に、リムとチーは企業の幹部で、長期的で安定した関係にあり、犯罪歴もない。活動家たちはこのカップルに味方して宣伝活動を行い、クラウドソーシングのウェブサイトでのキャンペーンを企画して、裁判費用として10万米ドル以上を募った。 3

2013年2月14日と3月6日に、リム・メンスアンとタン・エンホンの事例について、それぞれの審理が高等法廷で行われた。この高等法廷は、法律の合憲性を問う第一審裁判所であった。クエンティン・ロウ裁判官は両訴訟に対し、共に不利な判決を下した。裁判所は倫理問題については議会に従うべきで、大多数の人々が同性愛に「反対」であることを理由に議会がこの法律を決めたのであれば、裁判所がこれに干渉することは不可能であるとの裁定を出した。コモンローの伝統に従えば、シンガポールの下級裁判所は、最高裁が先に出した判決に従う必要があり、最高裁は平等な保護を受ける権利や、生存権、自由に対する権利に関する憲法条項について、保守的アプローチをとっていたのである。

タンと、リムとチーは上訴法廷に上訴を行った。高等法廷とは違い、上訴法廷には先のアプローチとは異なるアプローチをとる力がある。だが、三名の裁判官から成るこの陪審団は、ロウ裁判官の判決を支持し、平等な保護を受ける権利に関する確立されたリーガル・テストに従った。つまり、377A条のもとで逮捕された同性愛関係を持つ男性たちというのは、「インテリジブル・ディファレンシア(intelligible differentia/明瞭な相違点)」を持ち、識別可能なカテゴリーであり、このようなカテゴリーの人々を特定することと、この法律の目的である男性同士の性行為の抑制とは「合理的な関係性」があると論じた。アンドリュー・パン裁判官の100ページに及ぶ判決理由によると、司法は法律の目的の裏を探って議会の意図を問うべきではなく、よって法廷は訴訟当事者らを救済する事はできないという事だ。

News report on the story from Singapore’s Channel NewsAsia (English) —
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結論

リム・メンスアンとタン・エンホンの事例は、裁判によるクィア運動の当面の終息を象徴している。誰しも、同様の訴訟を起こす者は、これらの判決に挑まねばならず、これらの判決は下級法廷を法律上の同じ論点において拘束している。手短に言えば、この判決は、377A条に対するどのような改変も議会という多数決主義の機関によって行われる必要があるということを意味している。残念ながら、シンガポール議会がこれを進んで行うかどうか、特に2007年にこの法律が「大多数の価値観」を象徴するという発言がなされた後となっては定かでない。まさにこのような事態こそが、クィアの活動家たちが裁判を起こすようになった理由なのだ。裁判所には、マイノリティの諸権利を保護するために有利な判決を下す憲法上の権力がある。それなのに、裁判所は活動家たちに議会に行けと言うのだ。一党支配であるからには、議会は容易に377A条を廃止できるはずである。しかし、宗教右派による猛反対に直面し、選挙区民たちの認識が旧態依然であることを考えれば、シンガポール議会が、この国のクィア住民たちのために立ち上がるには、道徳的信念のみならず、強力な政治的理由が必要となるであろう。

Lynette J. Chua
シンガポール国立大学

Issue 18, Kyoto Review of Southeast Asia, September 2015

References

 Chua, Lynette J. 2003. “Saying No: Sections 377 and 377A of the Penal Code.” Singapore Journal of Legal Studies 209–261.
—— 2014. Mobilizing Gay Singapore: Rights and Resistance in an Authoritarian State. Philadelphia: Temple University Press.
Lee, Jack Tsen-Ta. 1995. “Equal Protection and Sexual Orientation.” Singapore Law Review 16: 228-285.

Notes:

  1. クィアのアクティビズムの形態に関する分析については、Chua(2014)を参照。
  2. これまで問題となった立法が憲法違反であるとされたのは1件だけだが、この決定は最終的に上位の法廷で覆された。
  3. 地元のクィア・コミュニティの中には、リム・メンスアンの活動家達に対して、シンガポール社会のその他の目からより敬意を得ることができる訴訟当事者の方を選ぶことで自分たちのコミュニティをごまかしていることへの批判があった。
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