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中国のソフト・パワーとASEANの建設的関与:中・ASEAN関係と南シナ海

10年間の沈黙の後、南シナ海(SCS)の対立が再浮上し、東アジア防衛議論の的となった。この対立は様々な意味において、中国のASEANとその加盟諸国との関係を試す試金石である。この対立はこの重要な関係に内在し、この関係を具現するものである。もし両者がSCSを収拾する事ができなければ、一体、ソフト・パワーと建設的関与の傘下における20年の前向きな取り組みの何が残るのであろう。

最近、多くの注目を集めてはいるが、SCSの現状は目新しいものではない。1990年代の初頭には、特にアメリカのアナリストたちによって、この領域が将来、恒久的な対立として浮上するとの予測が行われていた。
一見したところ、現在の状況は1990年代への回帰のように見えるかもしれない。だが、よく見てみれば、そうでない事は明らかだ。1990年代初頭以降、大きな変化が中国とASEANの関係や地域システムの中に生じてきた。両者の関係は概して、互いに肯定的で建設的であり、特に経済分野では、この地域の政治、経済、社会や安全の力学など、無数の局面が変化している。これら全ての変容は瞬時に消え去りはしない。だが、これらはSCSにおいても、アクターたちの互いに対する行為に影響を与え続けるものだ。

 ソフト・パワーと建設的関与

冷戦終結以降、中国とASEANの関係がどのように発展してきたかという問題の背後に存在する、最も重要な要因の一つは、両者が自分達のソフト・パワー資源を活用して、互いにアプローチを試みてきた事であった。
中国は東南アジアでの「中国の脅威」というイメージに対抗すべく、この地域の嗜好を(再)形成するために、ソフト・パワー外交の活用を通じた努力を行ってきた。一方、これと並行して、ASEANや東南アジア諸国は、自分たちの中国に対する「建設的関与」戦略を押し進め、中国を関与させて地域秩序に巻き込み、説得して多国間の取り組みや「ASEAN流」など、いくつかの地域基準や地域的慣行を受け入れさせようと試みた。

 だが、中国のソフト・パワー言説については、ソフト・パワーの定義法についての意見が全く一致していない。ソフト・パワーは厳密に言うと、「望むものを強制力や報酬ではなく、魅力によって手に入れる能力」、または「他者の嗜好を形成する能力」 1と定義され、これを中国のコンテキストに当てはめるには、特に問題がある。これにはいくつか理由があり、まずは経済力の資源が中国の力の一つの基本的特徴であり、これが中国外交の成功やその魅力の要となっている事(これはナイのハード・パワー観である)、中国のリーダーシップという表現がふさわしいと見なされるのが、この表現が力強い中国の構築に役立つと考えられる時である事、さらにこれとは別に、ソフト・パワーとは何かという言説が中国に出現した(「中国的特徴を備えるソフト・パワー」)という事もある。本稿でこの厄介な定義に決着をつけようと試みるつもりはないが、単純に、中国や東南アジアのリーダーシップから受け入れられ、導入されたソフト・パワーの形態に焦点を合わせてみる事にする。一国の魅力は少なくとも、ある程度はこれを見る人間次第なのだ。

協力、楽観主義と平和的関係の制度化

1990年代初頭、中国は冷戦後の新戦略を進めていたが、これは中国の「善隣」政策に特徴付けられ、東南アジアを中国の「平和的台頭」戦略を示す場に変じる事を目的としていた。これと同時にASEANが推進していた外交キャンペーンは、中国を隔離するのではなく、むしろこれと関わろうとするものであった。すなわち、ASEANの「建設的関与」戦略と、中国を脅威とする認識を弱めるための「ソフト・パワー」外交に向けた中国の動きとの間には、互恵的な過程があったのだ。この関係の改善は、両者にとって長期的なアイデンティティの変換プロセスとなり、彼らの利益を再解釈し、互いに対する振る舞いを変えるものとなった。この関係改善は、彼らの関係を建設的かつ平和的な方法でまとめようとする試みが行われた理由や、南シナ海に関しても 2、この関係が肯定的な方向に進められた理由を理解するための土台となる。

時の経過とともに、特に2000年以降には、中国は参加国である事を超えて、多国間の舞台における積極的なアクターとなってきた。底流にある中国の理論は、中国や中国の温和な意図を理解すれば、アジアのアクターたちの利益認識や行動を中国に有利な方向に変えるだろうというものである。多国間主義に向かう動きや、その受容は、時が経つにつれ、ASEANにとって実に望ましい方法で制度化される事となった。

中国の多国間主義の受容と平和的関係の制度化は共に、フォーラムや対話、公認された外交規範や慣行を備える構造的な枠組みを作り出した。この制度化はASEANの中国との関与の重要な一部で、地域の平和と安定におけるASEANの関わりを増進させる事となった。さらに、これは実際、「中国の脅威」が自己充足的な預言とならぬ事を保証するものであった。中国との関与という長期目標は達成された。これは中国を「地域の多国間制度の中に組み込もうとするものであり、中国の地域における行動を抑えるばかりか、これを次第に変化させる」 3ものであった。中国の行動は実際に控えめなものとなったし、中国は多国間フォーラムへの関与に慣れ、これに異を唱えなくなった。さらに、中国は「ASEAN流」を外交原則として認め、近隣諸国の利益に配慮するようにさえなったのである。これは中国の「ソフト・パワー外交」とASEANの「建設的関与」政策の間の互恵的な過程であった。

これと同時期に、良好な関係のため、また集合体としてのASEANとの関わりを持つ事を含め、中国が多国間主義を認めた事から、SCSはアナリストたちが一般的に、中国が攻撃的態度を取るであろう事を、また、この地域がまもなく恒久的な紛争の場となるであろう事を推測する地域となった。それにもかかわらず、1990年代半ばから、SCS紛争は緩和されていったのである。重要な点は、中国が1995年のASEAN地域フォーラム(ARF)に先立ち、中国はスプラトリー諸島について多国間の場で協議する事に前向きであると宣言した事だ。2年後には、SCS紛争がARFの議題に取り上げられるまでとなった。これは2002年の「南シナ海に関する関係諸国行動宣言」に連なるプロセスにとって、極めて重大な事であった。

中国の新たな自己主張

2007年にこの状況が変わったのは、中国がより主張の強い外交政策を押し進めたためである。最も具体的に言うと、中国は自国の軍事区域を拡大し、SCSでの管轄権の主張を強化して、より強硬路線の政策を進める事で、他の国々の主張を損ねようとしたのである。ここに潜む原因をたどれば、中国の国力の向上や自信の強化に加え、衰える事のない国家主義や外部干渉に伴う不満の増加に行き着く。これに伴い、多くの中国のソフト・パワーの正当性が、ほどなく損なわれる事となった。2010年に、この正当性がさらに弱まったのは、政治的、軍事的な挑発行為が、アメリカ政府と中国政府の間に行われたためである。中国はSCSをチベットや台湾などと同様の「核心的利益」であると表現したとされ、さらにはこの領域内で軍事演習を行ったとされる。緊張がさらに高まったのは、中国がより強い主張を盛んに行うようになったためである。

その上で、中国の新たな自己主張の姿勢がASEANにとって衝撃でなかった(これは西洋の多くとは対照的であった)事は強調されるべきである。ASEAN加盟諸国は、アナリストたち数名の示唆したように、中国の「微笑攻勢」に騙されたりはしなかったのである。むしろ、デウィ・フォルテュナ・アンワル氏を引用すると、ASEAN加盟諸国は、「中国の示す特有の約束と危険の両方を十分に心得ていたのであり、これからもそうあり続ける」、ASEANは「中国との最善の取引の方法…が、中国と関与し、これを完全に地域秩序の中に統合する事である」 4との確信を抱き続けて行くだろう。

中国政府からの不明瞭な合図

過去3年間、中国政府からは判然としない合図が送られてきている。一方では、対策が講じられ、中国のアプローチの抑制が図られてきた。中国はASEANによって提示された2002年の行動宣言の実施法に関する指針を承認した。中国の平和的意図を世界に確信させるための外交攻勢が開始されたが、それには2011年9月6日に発行された白書が含まれる。これは中国が鄧小平の指導に従い、SCS紛争を棚上げにして共同開発に努める事を改めて明言したものであった。

もう一方で、中国はASEANを分裂させる取り組みにあたり、カンボジア、ラオス、ミャンマーとタイがSCS紛争に一丸となって取り組む事がないよう説得してきたのである。中国の信頼性も当てにならぬものである。例えば、2012年のスカボロー礁における中国とフィリピンのにらみ合いの後、中国は口頭による相互撤退の合意を守り抜く事に失敗した。その代わり、中国はこの礁湖の河口を囲い、フィリピン側が再び立ち入れぬようにして、礁付近のパトロールを強化した。これはほんの一例に過ぎない。

しかし昨年、習近平国家主席と李克強首相が東南アジアを訪問した10月、新たな連携強化と、以前に失われた信頼回復のための動きが進められた。習主席の提案は、「運命共同体」を築く事で、中国・ASEAN関係の使命を高めようというものであった。李首相も自身の役割を果たし、中国とASEANが「善隣友好政策と、中国とASEAN諸国間の友好的連携」を促進するべきだと主張した。

結論 ―未知に向かって

1989年から2007年の期間には、両者のソフト・パワーのアプローチによって、明らかに肯定的で目に見える成果がもたらされる事となった。しかし、目に見える成果があったとしても、長期的なソフト・パワーの持続性は、さほど明らかではないようだ。目下、中国の意図が疑問視される中、SEAにおける中国のソフト・パワー外交の影響は所詮、限られたものにすぎない。手間暇かけて培われた信頼が、2007年以来、大きく損なわれてきた。

中国はこれに気が付いてから、失われた信頼を再び得るために変わろうとしてきた。しかし、努力が行われているとしても、これが上手く行くかどうかは疑問である。ASEANの関与は、中国に対するソフトバランシングや危機回避が増々強調されるに従って、より実用的なものとなってきた。さらに、ASEANの意見は、SCSがどのように(多国間、あるいは二国間で)対処されるべきであるかという点で、はっきり二分されることとなった。これは建設的関与成功の実現性を損ね得るものだ。だとしても、ASEANの建設的関与によって生じた根本的な影響がある。中国の「ASEAN流」の全面的な受容やその制度化、さらにはASEAN主導の諸機関の容認が、引き続き確実となった事で、概念的、規範的変容の発生がもたらされる事となった。

 お互いのソフト・パワー外交を通じて、肯定的関与が行われた事は無意味ではなかった。これは肯定的な地域関係の構築全般に寄与し、中国と東南アジアの経済的発展のための空間を生み出す事となった。
もし、相互的なソフト・パワーの関与がなければ、現在の東アジアは、おそらく非常に異なった様子になっていただろう。新たな地域秩序が双方の交流の試みを通じて構築されてきた。正常化された関係が維持されてきた。中国は引き続き、ASEAN主導の地域機関や国際機関と関わり、独自のモデルを推進して行く事となるだろう。さらに、この秩序は共通の価値観を中心に構築されたものであり、その価値観は地域の価値観であり、外部から押し付けられたものではないのだ。

Mikael Weissmann
The author is Research Fellow at the Swedish Institute of International Affairs

Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 15 (March 2014). The South China Sea

Notes:

  1. Joseph S. Nye, Soft Power: The Means to Success in World Politics, 1st ed. (New York: Public Affairs, 2004), x, 5.
  2. Mikael Weissmann, “The South China Sea Conflict and Sino-Asean Relations: A Study in Conflict Prevention and Peace Building,” Asian Perspective34, no. 3 (2010); The East Asian Peace: Conflict Prevention and Informal Peacebuilding  (Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2012); “Why Is There a Relative Peace in the South China Sea?,” in Entering Uncharterd Waters? Asean and the South China Sea Dispute, ed. Pavin Chachavalpongpun (Singapore: Institute of Southeast Asian Studies, 2014).
  3. Daojiong Zha and Weixing Hu, Building a Neighborly Community: Post-Cold War China, Japan, and Southeast Asia  (Manchester: Manchester University Press, 2006), 121-2
  4. Dewi Fortuna Anwar, “Between Asean, China and the United States,” Jakarta Post, 30 August 2010.
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