漫画はインドネシアにおける最も重要な出版形式の一つである。翻訳された漫画出版物の初版は、その他全ての出版物よりも五倍(一作品につき15,000部)多い (Kuslum, 2007; Indonesia Today, 2012) 。日本の漫画の翻訳版がインドネシアで最もよく売れている本であり(Kuslum, 2007)、インドネシアで書かれて出版された漫画の数は、輸入された漫画の数に比べると少ない。
漫画出版社大手のElex Media Komputindo (EMK)は、毎月、日本漫画の翻訳本52冊に対し、現地の漫画1冊の割合で発刊している。もう一つの漫画出版社大手のM&Cによれば、彼らの出版物の70%が日本漫画の翻訳本である(Kuslum, 2007)。翻訳された日本の漫画の人気が高いのは、そのクロスメディア戦略にも依拠している。日本の漫画の人気が高すぎるので、インドネシア人たちの間では、現地の漫画を重視しようという動きも生まれている(Ahmad他、2005: 1, 2006: 5, 44–45; Darmawan, 2005)。全国紙Kompasの記事を見ても、或いは、DI:Y (Special Region: Yourself) 漫画展(2007)や、インドネシア漫画の歴史展(Indonesian Comics History Exhibition)(2011)といった展示会が開催されることからも、インドネシアの漫画を盛り上げようとする動きがあることが分かる。
インドネシアの読者たちは現地の漫画が持つニュアンスや、外国の漫画がそれぞれどう違うのか、という事がわかるようになってきている。読者たちがニュアンスの違いを理解できる理由の一つは、外国の漫画出版物が異なる時代に紹介されたからである。スーパーヒーローの漫画がアメリカから輸入されたのは1950年代であり、『タンタン』や『アストリックス』などの冒険漫画がヨーロッパから入ってきたのは1970年代であった。日本の漫画が市場に参入したのは、1980年代の終わりである。もう一つの理由は、それぞれの外国の漫画が特有の画風を持つことである。いくつかの出版物を見れば、また、漫画出版の慣例を見てみると、こうした二つの要因が組み合わさって、漫画の分類が行われていることが分かる(Ahmad他、2005, 2006; Giftanina, 2012; Darmawan, 2005)。そして、読者や出版社、漫画家たちは、現地のある漫画を取り上げて、これはある外国のスタイル(gaya)で描かれていると述べたりするのである。
このスタイル(インドネシア語でgaya)とは、画風のことである。インドネシアの漫画論で、gayaと言えば、登場人物の描写や、コマ割、テーマなど、視覚的なステレオタイプに関する要素を指す。分かりやすい例としては、日本漫画(マンガ)の大きな瞳をした登場人物、写実的な筆致のアメリカのスーパーヒーロー漫画、ヨーロッパ漫画に用いられるリーニュ・クレール(ligne Claire/明晰な線)などである(Giftanina, 2012; Ahmad他、2005, 2006: 109)。出版社はマンガ家たちに、特定のgayaで描くよう指示する事ができる 1。インドネシアの出版社の中には、その投稿規定に、日本スタイルの漫画を拒否すると明記したものもあるが(例:Terrant Comics社)(cited in Darmawan, 2005: 261)、他方には、あらゆるスタイルを認めているものも存在する(例:Makko社)。編集者は、gayaを本の背表紙にあからさまに紹介する事ができる。一例としては、“Mat Jagung” (Dahana, 2009)があり、その本には、この作品がヨーロッパのgayaで描かれている事が明記されている 2。
ある漫画を画風に結びつけてしまえば、漫画の読者を簡単に分類する事ができて都合がいい(Ahmad他、2006: 83–87)。Hafiz Ahmad、Alvanov ZpalanzaniとBeny Maulanaは、彼らの著書“Histeria! Komikita (2006)”の中で、好みの違いによる読者の区分について述べている(Ahmad他、2006: 93–100)。彼らは読者たちが別のgayaの漫画を進んで読もうとはしないと述べている(Ahmad他、2006: 93)。つまり、日本漫画の読者が馴染めるものは、日本のgayaによるインドネシア漫画だけというわけだ。Ahmadたちは、スタイルの好みには、異なる世代ごとの特徴があると評している(Ahmad他、2006: 94)。1940年代から1950年代以降には、輸入されたアメリカン・コミックス(アメコミ)が入り、これと似たインドネシアのスーパーヒーロー漫画、“Garuda Putih”, “Puteri Bintang”や“Sri Asih”のブームを起こした(Ahmad他、2006:94) 3。ヨーロッパ漫画が入って来たのは、1980年代の日本ブームによって、翻訳された日本漫画がアニメと共に入って来るよりも前の事であった。つまり、それぞれの世代が、異なる漫画文化の影響を受けていたということだ(Ahmad他、2006: 94)。これらの読者たち自身が漫画を描くようになった時、彼らは自分達が最も親しんだgayaをまねる事になった。また、彼らが自分達の漫画を投稿した出版社は、彼らの描いたgayaに対して開かれた出版社であった。このため、gayaは漫画を読み、描き、出版する上での美意識や好みを特定するための手頃な基準となっている。
一読者として、私は異なったgayaの概念を直観的に受け入れてきた。上にあげたGiftanina (2012)とAhmad他(2006) の記述は、異なったgayaの解説を試みようとする、その他のいかなる一般の取り組みと同じように、詳細なものである[。しかし、一人の漫画研究者として、私は未だに地政学的な区分によってgayaを分類する必要性に論理的根拠を見出す事を難しく感じている 4。分類は多くの波紋を引き起こしており、例えば、インドネシアに特異なgayaを見出そうとする探求がそれである。Giftanina (2012)の仮説によると、インドネシアに特有の美意識は、漫画スタイルの地図に世界的貢献を成し得るものである。MKIやその他の出版社(Terrant Comics)数社は、最近人気のある日本スタイルを隔離することで、インドネシアに特有のgayaを作り出そうとしている。
本論では、そのような主張は行わないが、代わりにGiftanina (2012)やAhmadら(2006)の、gayaの分類の背後にある問題や可能性に関する議論を広げてみよう。インドネシアの漫画、“Wanara”について論じる事で、インドネシアの異なるgayaの区分は曖昧でもあることを示してみたい。
“WANARA”
“Wanara”は、Sweta Kartikaの原作、作画による。2011年5月以来、Swetaは彼の漫画を毎月、オンライン雑誌Makko (http://makko.co)に発表してきた。毎回の連載は30ページそこそこである。
Makko社は、あらゆるスタイルの投稿を受け付けている出版社だ。
「当社は、唯一の漫画スタイルを支持するものではない。漫画が、マンガ、アメリカ、ヨーロッパ、マンファ、マンホワなど、特定のスタイルによって描かれる必要はない。当社には、採用する漫画を選考するための独自の特別な基準がある」。(Makko.Co. 漫画出版社)
この規定では、インドネシアの異なる漫画のスタイルを認めつつ、彼らが出版する漫画をいかなる特定のスタイルにも決して分類しないとしている。したがって、読者はだれでも“Wanara”が外国のスタイルに沿っていると想定せずに、“Wanara”を読み始める事ができるのだ。
“Wanara”はSetaという名の一人の普通の高校生の冒険物語である。Setaは拳術を実践しており、スーパーヒーローに夢中で、かつてのスーパーヒーローを助けようと試みる。この年老いたスーパーヒーローPancaは、Pandaの率いるP.COという組織によって誘拐されてしまったのだ。Pancaの弟子であるBrataもまた、彼を助けようとしていた。SetaとBrataは、志を同じくする他の若いヒーローたちに出会い、新たなスーパーヒーローの集まりであるWanaraを結成した。Wanaraは前世代のヒーローたちの伝説を受け継ぎ、悪者を倒してゆく。
“Wanara”は、現代インドネシアの都会を舞台としている。高校生のSetaは、国の決めた制服か、ティーンエイジャーの誰もが着るような普段着を着ている。背景はインドネシアの現実になじみの深いものであるが、擬人化された動物や怪物のような姿のキャラクター、先進テクノロジーや超人的なアクションの存在によって、SF的なタッチが加わっている。これらの背景は、伝統的なジャワやサンスクリットの要素と対比を成すものであった。
話の中に現代ジャワ王室や、古代ジャワの寺院やデザインの描写があることで、伝統的な要素が盛り込まれている。ジョグジャカルタの王宮、クラトンも取り上げられている。
スリリングなアクション満載の“Wanara”の物語は面白い。アクション・シーンは、一続きの連続するコマ割によって生き生きと描かれていた。
これら4ページは、単に一つの動きから次の動きを細かく描いたコマによって構成されているだけでなく、動きの速度までをも伝えるものであった。縦の線は落下の速度を表し、Mr. Qの背後の斜線は、怪物が超人的な速度で動く様子を表していた。これらを一読して、私は「“Wanara”が日本のgayaで描かれたものだ」と考えた。インドネシアの学校の風景が写実的に描かれ、ジャワ文化を頻繁に想起させる(“Wanara”全巻の表紙にはジャワの伝統的装飾を施したマスコットが描かれていた)ことを除けば、この漫画のコマ割や動きは、“Wanara”と日本のgayaを即座に結び付けさせるものであった。
出版社が“Wanara”を日本スタイルと分類していなくても、これが日本スタイルに通じている事に驚きはしなかった。私は“Wanara”に、日本の漫画によくあるビジュアル的要素が具わっている事に気が付いた。例えば、不揃いなコマ構成によって、細かい動作を表現する事は少年マンガによくある。吹き出しの形、擬音語の使用、白黒の描画にスクリーントーンの使用、同一の登場人物に二つの違う身体がある事(コメディ的状況で現れる登場人物のデフォルメされた身体)。
ステレオタイプな日本的描き方と重なる一方で、所々に挿まれたアクション・シーンを引き立てるカラーページがある。
このようなシーンの描写は、より写実的で均整のとれたコマや、印象的なアングルが用いられる。このようなシーンでの“Wanara”のイメージは、日本スタイルの漫画から、アメリカのスーパーヒーロー漫画のgayaになる。
私がインドネシアの漫画を特定のgayaと結びつけようとする欲求は、この分類がいかに私の頭に染みついているかを示すものである。“Wanara”におけるgayaの変化は、Kartikaの描画の腕が、異なるgayaを使いこなせる程に熟練したものである事を証明していた。また、これは特定のイメージを、いかに速やかにインドネシア漫画に蔓延する地政学的gayaと結びつけるかを、苛立たしくも思い起こさせるものであった。
“Wanara”では、二世代のスーパーヒーローを特徴的に描いている。年配の世代と若者の世代である。ヨーロッパと日本のジャンルが1980年代に輸入された事で、非筋肉質な体格がアクション満載のシーンに登場するというコンセプトが取り入れられた(keseharian, Ahmad他、2005: 18, 58)。年配の世代はアメリカのスタイルによって描かれる一方、若者の世代は、より小さなコマを用い、衣装もなく、戦闘に普段着を着ただけで描かれていた。この二つの世代の存在が象徴するものは、二つの異なる世代に顕著な漫画文化の違いであった。
こうした描き方により、“Wanara”には、インドネシア漫画に見られる異なる漫画の美意識を調和させる可能性があることが分かる。
“Wanara”による地政学的分類の限界と可能性
外国漫画の存在感が圧倒的であるために、地政学的な分類が常識となっている。この分類のために、特定のgayaを排除する事で、排他的な美の領域を見出そうとするいくつかの極端な動きが生じる事となった(日本のgayaによる投稿を禁止するTerrant comics社の方針など)。地政学的分類の主な問題は、その排他性にある。これは、ある漫画の作画、原作、出版がインドネシアで行われても、外国のスタイルで描かれていれば、インドネシアのものと見なされないという事である。だが、Sweta Kartikaは“Wanara”を描く事で、これらの約束ごとを破ったのであった。
“Wanara”を読めば、漫画読者は日本の漫画に、他の外国のgayaと結び付く要素が入り混じっている事に気が付く。“Wanara”は、一つの漫画が、決して単独のgayaにのみ属するものではないという事を示したのである。そのようにして、異なるgayaの間の区別を曖昧にしている。区別をしてしまうと、異なるgayaを組み合わせる可能性を持った将来の作品の発展を妨げてしまう。また、作家が同業者たちの作品をまねたり、組み合わせたりする創造性を制限してしまう。“Wanara”は、漫画美学の流動性を示す明白な例であり、gayaがいかなる定義をも超えて拡大する可能性を持つことを示している。つまり、漫画美学の拡大のためには、何ものも、厳密な分類や定義によって分離されるべきではないということだ。
しかし、gayaの概念をすぐに放棄してよいものでもない。インドネシアの場合、gayaの認識は、外国漫画の影響を受けてきた歴史によって生じ、ここから様々な美のトレンドが生じた。Seno Gumira Ajidarma (2011)は、インドネシアの漫画“Panji Tengkorak”が、異なる美意識によって三度リメイクされたことを指摘している(1965, 1985, 1996)。これと同じ例が“Wanara”にも見られる。“Wanara”では、2つの違った漫画世代の、2つの異なったビジュアルのgayaが取り入れられている。
インドネシアの漫画出版における標準的なgayaの用語は、出版の細目、例えば投稿規定などの中で、インドネシアに異なる美意識の分類が存在する事や、その実用性を認識する事の重要性を示すものである。研究者たちはただ、この概念がいかに問題であるかだけではなく、その効用や可能性についても検討するべきである。知識人たちは、彼らの議論においてアイデンティティを問題とするときに、それが持つ政治的な意味合いを理解し、アイデンティティを問題とすることがいかに漫画美学の流動性を退けることになるのかを自覚しておく必要がある。
フェブリアニ・シホンビン(Febriani Sihombing)
東北大学大学院生(博士後期課程)
スーパー・ジャパン・インドネシア研究員
Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 16 (September 2014) Comics in Southeast Asia: Social and Political Interpretations
References
Ahmad, Hafiz, Alvanov Zpalanzani, and Beni Maulana. 2005. Martabak: Keliling Komik Dunia. Jakarta: Elex Media Komputindo
—————————————————————-2006. Martabak: Histeria! Komikita. Jakarta: Elex Media Komputindo
Ajidarma, Seno Gumira. 2011. Panji Tengkorak: Kebudayaan dalam Perbinacangan. Jakarta: Kepustakaan Populer Gramedia
Bonneff, Marcel. 1998. Komik Indonesia. Jakarta: KPG (Kepustakaan Populer Gramedia).
Darmawan, Hikmat. 2005. Dari Gatotkaca Hingga Batman. Yogyakarta: Orakel.
Dwinanda, Reiny. 2007. “’Gerilya’ Komik Indonesia” in Republika, March 11th, 2007. http://www.republika.co.id/koran_detail.asp?id=285841&kat=id=306
Giftanina, Nanda. 2012. Hilangnya Identitas Kultural dalam Perkembangan Komik Lokal Indonesia. http://www.scribd.com/doc/46912306/Masa-Depan-Komik-Indonesia-Sebagai-Medium-Visual-as-Kultural. [Last access: June 27, 2012]Indonesia Today. 2012. “Dunia Perbukuan Indonesia di Ujung Tanduk” in Indonesia Today, June 29th, 2011. http://www.itoday.co.id/pendidikan/dunia-perbukuan-indonesia-di-ujung-tanduk
Kartika, Sweta. 2011 ~ 2013. Wanara. http://makko/co [Last access: February 1, 2014]Kuslum, Umi. 2007. “Masih dalam Dekapan “Manga”” in Kompas, November 26th, 2007.
McCloud, Scott. 1993. Understanding Comics. New York: Harper Perennial.
——————. 2001. Memahami Komik [Indonesian translation of McCloud 1993]. Jakarta: KPG (Kepustakaan Populer Gramedia)
Interview with Seven Art Land Comic Studio artist, Rie, held in Cilandak (September 18, 2010).
Notes:
- Interview with Indonesian comics artist rie, September 18th, 2010. ↩
- “Mat Jagung is a role model that is worthy of praise. This anti-corruption themed comic strip with European comics style are successfully attracts readers every week.” (Dahana, 2009) ↩
- The discussion on how foreign comics made an influence in the creation of Indonesian comics starts at the first significant publication on Indonesian comics Komik Indonesia (1998) based on comic scholar Marcel Bonneff’s publication on Indonesian comics Les Bandes Dessinnes Indonesiennes (1976). In the dissertation, Bonneff stated that the first genres of Indonesian comics received influences on many Indonesian comics. For example: the martial arts genre (silat) was based on the Chinese comics (sic.) popular at the 1960s in Indonesia (Bonneff, 1998: 24). My question towards Bonneff’s notion of foreign comics influence in Indonesian style can be read in IMRC/NUS (the numbers and volume follow later). ↩
- Author and journalist Seno Gumira Ajidarma, in his dissertation of Indonesian comics Panji Tengkorak (2011) writes the three different aesthetics in Indonesia through the three remakes of classic comics Panji Tengkorak (1968, 1985, 1996). His writings are the only publication that has never attempt to classify the aesthetics in geopolitical classification of gaya as commonly discussed elsewhere in Indonesia. Through the visual differences of three Panji Tengkorak, he stated that the reproduction of culture are construction of the ideology popular of each time.
Author Hikmat Darmawan also attempts to discuss on foreign comics, including their ideological and cultural journal in Dari Gatotkaca hingga Batman (2005), and their influences on Indonesia. He concludes with encouraging Indonesia to create its own unique comics icon and production model.
These two publications are not commonly known outside the comics scholars in Indonesia. Meanwhile, Ahmad.et.al’s is a popular book can be obtained in major bookstores. ↩