ミャンマーにおける家族の同性愛嫌悪と「オープン」の同族関係

David Gilbert

ミャンマーでは、様々なミャンマー語の俗語や英語の借用表現によって、ジェンダーやセクシュアル・マイノリティの主体ポジションが示されている。主な男性の主体ポジションはapwint (「オープン」) 、apôn (「ハイダー」:隠す者)homo (「ホモ」:同性愛者)や、thu nge (「ガイ」:男)である。オープンとは男性で、その言動や見た目が女性的な者を言う。オープン達が中国から輸入した女性ホルモンを服用する事は、一般的ではないにしろ、彼らがジェンダーの規範的集団を出て男性から女性に転換したトランス・コミュニティの一員になるための通過儀礼として、日常的に行われている。性別適合手術は、まだミャンマーの医療市場では受けることができないが、資金力のある、ごく少数のオープンたちは、海外でそのような手術を受けることができる。ハイダーやホモというのは、規範的な男として通用するような男性である。ガイは時に「ストレート」とビルマ人英語話者たちから呼ばれる者達で、やはりジェンダー適応者であり、ハイダーたちにとってはそれ程でもないが、オープン達にとっては第一の性的関心の対象となっている。ハイダーたちが言語学上、己の内なる女性的自己を「隠す」と位置づけられている一方、ホモのレッテルを貼られた者たちは、「女性的な」男性が、規範的男性であるガイとの関係を求める、という現地のジェンダーやセクシュアリティの文化を、様々に拒絶している。ホモは女性性、あるいは男性性と同定され得る人々であって、彼らはそれぞれに他のホモやガイに惹かれるのである。本論で筆者が特に焦点を当てるのは、女性的な男性、ビルマ語でapwintすなわちオープンと呼ばれる人々である。

オープン達は抑圧、特に警察による法体制の範囲内の嫌がらせや虐待の対象となっているが、この状態が、彼らの日常生活では滅多に重大な問題とはならない。 1 多くの場合、オープン達にとって、より差し迫った暴力や恥辱、苦悩の原因は、家庭の中で生じている。私が最近のミャンマーでのフィールドワークの際にインタビューした、非男性的な情報提供者の男性たちは、概して家庭内の事、幼少期に生じた事から自分達の身の上話を語り始めるが、多くの場合が自分達の経験した家族からの暴力的な反応についてである。これはミャンマーの文化制度内におけるジェンダーのヒエラルキーに幾分関係がある。オープン達にとって、女性性との関連は、男性としての社会的地位の喪失をもたらすものであるが、男性は「権力(awza)」や「カリスマ(hpoun)」に関し、女性よりも構造的に優位であるとされている。 2 awzaは政治的権力と関連付けられるが、hpounは道徳的、宗教的権威に関連付けられている。ミャンマーの仏教文化では、ある者のhpounの蓄積はカルマによって決まり、過去生で積まれた徳によるとされている。男性がより偉大なhpounを持つと考えられる事から、この象徴的な権威の観念が、女性よりも男性を優位とする仏教的宇宙観を支えている。ある男性が、男性から女性に主体ポジションを換える事は、hpounを弱める事と見なされ、その結果、人間性がおとしめられ、敬意が払われなくなる。また主体ポジションの変化は、家族の社会的地位にも問題をもたらす。なぜならば、この地位がanadeの法則によって規定されているためである。

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Apwint (“open”) sisters at a Yangon festival

Anadeは規定的な枠組みとして、ミャンマーでの対人関係を左右するものである。Anadeは敬意を意味し、これには他者に不快感や苦痛を与えると思しき言動を避けることも含まれる。Anade、あるいはこの慇懃な敬意の文化は、トランスのミャンマー人達にとっては問題である。なぜなら、これは基本的にジェンダーの規範に基づくもので、これによってオープン達はヘテロノーマティブ(異性愛規範を是とする)なミャンマー社会の中で、劣った存在と位置付けられることになるからだ。重要な文化伝達の機構として、ミャンマー人の家族単位は、Anadeの規範にトランスの子供たちを同化させる上で重要な役割を担っているが、その結果、子供達は苦しむことになる。子供達は幼少期から、両親に従うこと、彼らを支えることを教えられる。トランスの子が居る家庭にありがちな話の筋で、男性規範に適応し損ねた息子に直面した父親の最大の関心は、面目を保つことである。この赤恥の原因は、トランスの子を持つことで、その家族が人々の嘲笑を買うはめになることだ。だが、ミャンマー人の父親に更なる追い打ちを与えるのは、彼の息子がトランスであるために、彼のawzaには、つまりは男性としての「権威」で家族単位を取り仕切り、いかなる逸脱も退け、これを矯正する力には、大した影響力がないと見られることである。このスキーマにおいて、awzaは同意上の支配、anadeは強制力と関わっている。

例えば、Chit Chitという情報提供者は、両親と共にヤンゴンのとある衛星都市に住んでいたが、十代の頃にオープンとなり始めた、あるいは女性らしさを呈するようになった。彼女の父親は当初、父親の威力を駆使し、Chit Chitをジェンダーの規範内に追い込もうとしていた。だが、これが望ましい結果をもたらさなかったため、Chit Chitの父親は体罰を行使したが、それでも思うような効果がなかった。その後、Chit Chitが一家を去ったために、父親の男らしさの概念に関わるawzaの権威に、さらなる打撃が加わった。息子が女性としてオープンになる時に、父親が被る赤恥は、去勢さながらの経験となり得るものであり、トランスの子供たちに対する父親の、時として暴力的な反応はこれによって説明される。

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抑圧的な家庭力学の例は、ヤンゴンのオープンであるLayの話にも見られる。13歳の時、Layはもはや家族との同居に耐えられなくなっていた。それは彼女の父親が、彼女がトランスであり続けるのであれば、もう家族としては歓迎しないと告げたてからである。Layは路上に放り出されたが、これは非常につらいことであった。なぜなら、それは彼女がオープンの主体ポジションとなって程無い頃の出来事で、親類関係の代わりに構築されるオープンのソーシャル・ネットワーク内に居場所が無かったためである。トランスの同族関係に加わるために必要な一定の知識や技術は、大抵、トランスの母親の養子となれば得られる。Layは路上をさまよい、とうとうヤンゴンの風俗業の中心地の一つにあるチャイナタウンの近くに行きついた。Layは語った。「そこで多くのオープン達に会ったけど、私に話しかけたり、私を助けたりする人はいませんでした。彼らは私を知らなかったのですから。ひたすら歩き続けました。どこへでも、こころのおもむくままにね」。Layは帰宅を決意し、家に帰ろうと試みた。それは耐え難かったが、路上生活よりもましであると思われた。両親は彼女が家に戻ると、彼女を金属棒で殴りはしたものの、彼女を家に住まわせた。しかし、Layの両親たちの苛立ちは増々募った。それは、彼女が近所で普通の男性として振る舞いたがらず、そしてオープンとなる、女性らしく振る舞うことを、彼らがコントロールできないことへの苛立ちであった。ついに彼らはLayに、オープンで居続けるなら、もう家に居ることを歓迎しないと告げ、彼女は再び路上へ追放された。

トラウマ的ではあるが、この家族の家を出る行為、そして同族関係の再構築も含め、新たにクィア同士の結びつきの在り方と折り合いをつけることで、多くのミャンマー人オープン達は帰属意識を得られる。トランスの人々は、実の家族から拒絶されると、他のトランスの人々との友情関係や家族的な「母-娘」関係のモデルに基づく、新たな関係形態を模索、創造する。再構築された同族関係の力学は、ミャンマーのトランスの人々の日常生活における重大な関心事となる。トランスの人々は、概して家庭内で様々な形の暴力や苦悩、疎外感を経験する。その結果、家庭を離れることが、しばしば、多くのトランスの個人たちの選び得る唯一の選択肢となる。結果的に、その人は実の家族と別離するものの、トランスの社会性は、彼らがクィアの同族関係の単位に加わることで生じる。このようなクィアの同族関係の諸形態は、主として特別なワーク・ラインを通じて形成される。そこでは年若いトランスの「娘たち」が、年上のトランス達と「母‐娘」の関係を結ぶのであるが、これは親密な関係と経済的安定、職業訓練を兼ねたものである。

トランス達は支援ネットワークの中で、通常の親族同士のように関わり合うが、これは実の家族に代わるものである。この二つの同族関係の様式の大きな違いは、そのメンバーとなるための基準にある。実の家族は縦型式の同族関係であり、これに加わるには、遺伝や共通の根本的属性、たとえば血縁関係などが基となる。対照的に、トランスの同族関係は、水平的かつ拡散的であり、これに加わるための基準は、ジェンダーや希望などの文化的範疇である。ここでいう水平的とは、トランスの同族関係が均一な権力構造であるという意味ではない。ミャンマーにおける主要な同族関係の構造は家族単位で、その中では祖父母たちが最年長者と見なされる。年長者たちが亡くなると、次世代の者達がこれに代わって家長となる。トランスの同族関係の様式も、ヒエラルキー的には同様のパターンに従うもので、若年メンバーは目上の者達からの恩義を受けている。

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An apwint (“open”) beautician at work in Yangon.

1960年代以降、ミャンマー人apwintすなわちオープン達が次第に経済的なニッチを生み出しており、重要な生計手段の機会や、様々な社会組織の形成につながっている。現在、ミャンマーでは二つの職業が、広くオープンと関連付けられている。即ち、それらは霊媒業と美容業である。これらの職業は俗に、英語のラインという言葉で呼ばれている。美容業界は、ミャンマー人トランス達が就ける主要なワーク・ラインであり、しばしば霊媒業や風俗業とも絡んでいる。美容院はトランス達の家やコミュニティセンターとして機能しているが、出会いの場でもあり、国際的なHIV教育と予防のネットワークの中核でもある。トランスのワーク・ラインは、トランスの人々の重要なセーフティ―ネットであり、最近家を出た若者達にとっても、年配の退職者で家を出て久しく、実の子供達からの支えが受けられない者達にとっても、同様である。これらのワーク・ラインは、トランス同士の時空を超えた結びつきを促進するものである。今日、メーク・アップのsaya (美容師)になるのは、ミャンマー人トランスジェンダーの人々の最もありふれた夢であり、この業界は他の業界よりも、トランスジェンダーの人々を多く取り込んでいる。この業界のトップの者達は、華やかな公的生活を送っており、これがミャンマーの同性愛者やトランスジェンダーのプライドにとって、第一の目標となっている。実家での体験が、多くの場合、ネガティブなものであることを考慮すると、ワーク・ラインを通じて形成された同族関係は、トランスの帰属にとって重要な社会構造なのである。

トランスの文化では、「娘」は「母親」を敬い、これに仕え、時には崇めることが義務付けられているが、これに対して、母親にはその娘を支援し、養い、彼女たちが独立して成功に満ちた幸せな人生を送れるようにしてやる義務がある。中でも、支援は若いトランス達にとって不可欠なものである。彼らは自分達が経済的に独立したトランスの母親となり、今度は自分達が養女を取れるようになるまでは、非常に不安定である。「母親」や「娘」のカテゴリーは、様々に分類できる。母親達の中には、その娘の人生にとって不可欠なまでに重要で、永続的で生涯にわたる関係を持つ者達もある。また別のトランスの母娘関係は一時的であって、中には一生のうちに二人以上のトランスの母親を持つ娘もある。トランス達の日々の会話の中で、ミャンマー語の「母親」と「娘」という言葉は、日常的な代名詞でもあり、年配のトランスが年若いトランスを呼ぶ際に、これを用いることもあれば、その逆もある。「養子をとる」という動詞は、「母親」と「娘」という言葉を、より正式な同族集団を形成するものとして区別する上で、また、これらの言葉の代名詞的用法を区別する上で重要である。

だが、ミャンマー社会における家族やジェンダー、ヘテロノーマティブなanadeの規範の重要性を思うと、なお、非常に多くのオープン達が両親に逆らって家を出る道を選んでいることは、注目に値する。anadeは、極めて重要な序列化の原理であり、個々がオープンのアイデンティティへ移行する上で、大きな障壁を作り出している。なぜなら、この文化制度の中で、家族というコンテキストにおいては、両親に対する義務の方が、己に忠実であるよりも優先されるためである。これは家庭的安定を個別化よりも名誉とする、ミャンマーの民族心理学を反映している。家を出ることで、オープン達は、単にジェンダーやセクシュアリティに関するだけではなく、anadeについても、基本的社会規範に背くことになるのだ。

しかし、ここ数十年の間に、若いオープン達が活気あるトランス支援ネットワークに加わる機会が増々増加している。これらのネットワークは、大抵、家族単位をモデルに組織されたものである。オープン達のワーク・ラインの発展は、オープンとなるための場を作り出し、経済的に独立する上で極めて重要なものである。トランス達はワーク・ラインを通じて、現代ミャンマーでオープンとなり、オープンとして生活するために必要な経済力を、実家に頼らずとも得られるのだ。これらトランスの同族ネットワークは、トランスの人間性に有利な社会的集団の形成を伴うが、ミャンマー文化の主流である年齢に関する序列をいくらか再現しており、ここではトランス流anadeがこれを律する。ミャンマーにおける近年の政治の自由化は、ミャンマーのトランス達に、国家的弾圧に挑む重要な機会を与えた。しかし、オープン達が家庭内で経験するような、日常的な形の社会的、文化的抑圧への対処は、おそらく今後も、ミャンマーのトランスの人々にとって、最も困難で長引く闘いとなるであろう。

オーストラリア国立大学 David Gilbert
Australian National University

Issue 18, Kyoto Review of Southeast Asia, September 2015

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An apwint (“open”) beautician and her thu nge (“guy”) husband.

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Notes:

  1. For an overview of the human rights situation of gender and sexual minorities in Myanmar, and the growing LGBT rights movement in the country, see Lynette J. Chua, and David Gilbert. “Sexual Orientation and Gender Identity Minorities in Transition: LGBT Rights and Activism in Myanmar.” Human Rights Quarterly 37, no. 1 (2015): 1-28.
  2. Melford Spiro, Gender ideology and psychological reality: An essay on cultural reproduction, Yale University Press, (1997): 18.